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【論考】契約より重い言葉の力と“無責任の制度化” ― 赤澤大臣の交渉を見て


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赤澤大臣の貿易交渉をめぐり、「書面がないから意味がない」という批判を目にしました。しかし、これは現場を知らない人の発想だと言わざるを得ません。



外交の世界では、あえて文書化せず、言葉による合意にとどめることがあります。これは将来の交渉余地を残すためであり、形式よりも柔軟性と信頼を優先する戦略です。外交の世界では“政治的合意”や“紳士協定”と呼ばれる非文書化の合意が慣習的に存在します。



ビジネスでは「契約書がなければ無効」と言う人がいます。しかし実務の現場では、口頭での合意や日々のやり取りが信用の基盤となり、それを前提に取引は動きます。契約書は確認の手段であって、本質的な合意は言葉や行動にあるのです。



水産取引においては、この傾向が特に顕著です。漁獲は始まってみなければ数量やサイズがわからず、製造も実際に作ってみなければ結果は確定しません。プロセスが先に進み、結果が後からついてくる性質上、「獲れたら買う」「作ったら受け取る」という約束が先にあり、契約はその確認にすぎないのです。だからこそ日々のやり取りや合意の積み重ねが取引の基盤になります。



最近、こんな場面に遭遇しました。交渉の過程で相手は複数回にわたり連絡のやり取りで内容を認め、その前提で商談は進んでいました。ところが最終段階で、経営者自身が「契約していないと言え」と担当者に指示し、その言葉を繰り返させ前提としてあった内容を反故にしたのです。これは経緯を軽視し、制度を口実に責任を回避する行為であり、まさに“無責任の制度化”。学術的には「アカウンタビリティの不在」として整理できます。



金融の世界でも、為替予約や株式の大口取引はいまでも電話の口頭約定が成立しており、後から書面を残すのは記録のためにすぎません。外交交渉では発言が必ず議事録に残され、金融取引では電話録音が行われます。ビジネスでもLineやメールがその役割を果たし、口頭合意を裏づける記録として機能しているのです。よって大統領や大臣の発言は条約に先行して合意として機能します。最近の赤澤大臣の交渉に対しての「書面がない」という批判、これは信用秩序の実際を理解していないど素人の見方にすぎません。そもそも大統領が交渉相手として出てきている時点で、それは契約書の有無を超えた次元の合意です。もし契約だけが問題なら、大統領が直接関わる必要などないのです。――それが外交のリアルです。



積み上げた合意を「契約がない」として反故にすることは、その場しのぎの逃げ道にすぎません。そして最終的には市場や社会からの退場を招きます。これは外交や金融だけの話ではなく、ビジネスでも同じです。 ステークホルダーに不誠実な組織は人も取引先も離れていきます。根本にあるのは戦略に対する知見の浅さであり、突き詰めれば経営者自身の資質の問題です。



法人同士の会話が成立しない状態とは、制度を盾に言葉を無効化する態度の延長線上にあります。それは信用を壊すだけでなく、組織の存在意義そのものを疑わせることにつながります



信用とは制度や契約書よりも先に存在するものです。言葉と責任をどう扱うかが、組織や国家の厚みを決定づけます。契約よりも重い言葉の力を軽んじる姿勢こそが、最大のリスクなのです。

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