【論考】契約があったとしても ― 信用なき相手に意味はあるか
- 牧野 輝彰
- 8月23日
- 読了時間: 3分

外交の場においても、契約や条約が絶対的な保証にはなりません。最近の赤澤大臣の交渉をめぐり、「書面がないから意味がない」と批判する声がありました。しかし冷静に考えれば、たとえ書面があったとしても、それが反故にされることはいくらでもあります。歴史を振り返れば、米国が国際協定から一方的に離脱した例は少なくありません。もし条約や協定が確実に守られるのであれば、国際秩序はもっと安定し、戦争も起きないでしょう。現実には、契約書の有無以上に力関係や信頼関係が秩序を支えているのです。
もちろん、書面に意味がないわけではありません。外交でもビジネスでも、合意の確認や記録は必要です。書面は信用そのものを生み出すものではなく、むしろ次回以降の交渉や判断において、過去の合意を参照するための基盤になります。信用があってこそ書面は機能し、信用がなければ最も緻密な契約条項ですら無力化されてしまうのです。
このことは、ビジネスの現場でも同じ構造を持っています。特に水産取引のように「獲れたら買う」「作ったら受け取る」という性質を持つ業界では、数量やサイズが確定しないため、契約そのものが成立しにくい。合意は日々のやり取りや言葉によって積み重なり、契約書はその確認にすぎません。
しかし現実には、この信頼の積み重ねを軽視する企業があります。私自身、商談の最終段階で経営者が「契約していない」と言い出し、合意を反故にされた経験があります。担当者に「そう言え」と指示したのは経営者本人でした。制度を口実に責任を回避する、典型的な“無責任の制度化”です。
さらに矛盾は続きます。余ったときには「契約していない」と逃げ、欠品したときには「契約を守れ」と迫る。こうした態度は、一見すると制度に忠実なように見えて、実際には最も信用を損なう行為です。責任を引き受ける姿勢を欠いた組織は、いずれ人も顧客も離れていきます。
外交でもビジネスでも、契約の有無を盾にした矛盾はいつでも起こり得ます。しかし最後に残るのは信用です。信用とは制度や契約書よりも先に存在するものです。それをどう扱うかが、組織や国家の厚みを決定づけます。契約よりも重い言葉の力を軽んじる姿勢こそが、最大のリスクなのです。
この件については、これで終わりとします。私にとっては良い勉強になりました。結局は、相手側経営者の経営戦略に対する知見の浅さ、が招いた出来事にすぎません。こんなスケールの小さい問題に関わっている暇はないのです。
ただし、こうした事例を記録として残す意味はあります。制度を盾にした無責任や、契約の有無を都合よく使い分ける矛盾は、経営や組織の在り方を考える上で格好の教材になるからです。最後に残るのはやはり信用です。信用とは制度や契約書より先に存在し、それをどう扱うかが組織や国家の厚みを決定づけるのです。



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