
商流をつくるということ——中国ビジネスの現場で感じる「部分最適」の落とし穴
中国で長くビジネスをしていると、日本企業との仕事の中で、ときどき不思議に感じることがあります。
取引を成立させ、継続的な商流をつくることが本来の目的だったはずなのに、いつの間にか個々のルールや工程を守ることが目的になってしまう。
一つひとつの判断を見れば、決して間違っているわけではありません。それなのに、全部を積み上げてみると、コストが上がり、意思決定が遅くなり、最終的にはビジネスとして成立しなくなる。
私は中国とのビジネスに長く関わる中で、この「部分では正しいのに、全体ではうまくいかない」という場面を何度も見てきました。
【商流のための工程か、工程のための商流か】
本来、商流をつくる目的は明快です。
商品をつくり、必要な品質を確保し、適正なコストで動かし、売り手と買い手の双方が利益を得る。そして、その取引を継続させる。
組織もルールも工程も、その目的を実現するための手段であるはずです。
ところが日本企業との仕事では、ときとしてその順序が逆転します。
商流を成立させるためにルールを使うのではなく、既存のルールに商流を合わせようとする。
品質を上げる、安全性を高める、コストを下げる、納期を短縮する。そのために必要な工程なら、もちろん意味があります。
私自身、食品を扱う仕事をしていますから、品質管理、衛生管理、トレーサビリティなどを軽視してよいとはまったく考えていません。むしろ、それらは商流を成立させるための前提です。
問題は、何のために存在するのかが曖昧な工程まで増えていくことです。
「念のため」「社内規定だから」「以前からそうしているから」——そうして工程が一つ増え、書類が一つ増え、確認する部署が一つ増える。
ところが、その工程によって品質がどれだけ改善したのか、事故の確率がどれだけ下がったのか、利益や納期にどのような効果があったのか。それを測るKPIがない。
コストだけは確実に増えていきます。
これは「管理」ではなく、いつの間にか「管理のための管理」になってしまいます。
【部分では正しい。しかし全体では負ける】
一つひとつの工程には、それぞれ理由があります。
担当部署から見れば正しい。品質管理から見ても正しい。法務から見ても正しい。経理から見ても正しい。
ところが、その「正しい」を全部積み上げた結果、価格競争力を失い、納期が延び、意思決定が遅くなり、最後には商流そのものが成立しなくなることがあります。
部分最適の積み重ねが、必ずしも全体最適にはならないのです。
中国企業にも、もちろん多くの問題があります。
ただ、商流をつくるという点では、まず全体を成立させ、そこで生じる個々の問題を後から調整していくという発想が比較的強いと感じます。
日本企業では逆に、起こるかどうかもわからない問題まで先に処理しようとして、商流そのものが始まらないことがある。
どちらが常に正しいという話ではありません。
重要なのは、何を達成するためのルールなのかを見失わないことだと思います。
【経済の現実と、それを動かす仕組み】 少し視点を広げてみます。
マルクスは、経済的な「下部構造」が政治や制度、思想などの「上部構造」を規定すると考えました。
この考え方をそのまま現代の企業経営に当てはめるつもりはありませんが、ビジネスを考えるうえでは興味深い視点です。
まず商流という経済的な現実がある。
その商流を効率よく、安全に、継続的に動かすために、組織やルールや工程がつくられる。
ところが現場では、ときどきこの関係が逆転します。
現実の商流に合わせて制度をつくるのではなく、制度や組織の論理に商流を合わせようとする。
つまり、上部構造が下部構造を規定しようとするわけです。
そして中国とのビジネスを長く続けながら日本社会を見ていると、私は最近、この「逆転」が企業の中だけの問題ではないようにも感じています。
【商流の延長線上にある日中関係】
日本と中国の間には、すでに巨大な経済関係があります。
貿易、サプライチェーン、投資、物流、観光、人的往来。
これは政治的な好き嫌いとは別に、何十年もかけて形成されてきた現実です。
本来なら政治や外交も、こうした現実を踏まえながら、何を守り、何を変え、どこで折り合うのかを考えていくものだと思います。
ところが、ときとして順序が逆になっているように見えることがあります。
経済や商流という現実から政策を組み立てるのではなく、政治的な理念や国内向けの言説を先に置き、その枠組みに経済の現実を合わせようとする。
企業でいえば、商流より社内ルールが上位に置かれてしまうのと少し似ています。
もちろん、企業経営と国家運営を同列に論じることはできません。安全保障には経済合理性だけでは測れない価値がありますし、サプライチェーンの分散や経済安全保障にも合理的な理由があります。
それでも、企業経営と同じように問うことはできるはずです。
その政策によって何を得るのか。 そのために、どれだけのコストを払うのか。
そして、その成果を何によって測るのか。
政策にも、本来ならKPIに相当する視点が必要なのではないでしょうか。
【最後には現実が残る】
政治的な意思によって経済の構造を変えることはできます。
しかし、長い時間をかけて形成された商流やサプライチェーン、人的関係を、政治的な言葉だけで一夜にして消すことはできません。
政治関係が冷えても、企業には企業の商流があります。地方には地方の交流があり、人には人の往来があります。
だから政治と経済の現実が大きく離れれば、その間にねじれが生じます。
これは私が中国ビジネスの現場で長く感じてきた問題とも重なります。
商流を成立させるためにルールがあるはずなのに、ルールを守るために商流を犠牲にする。
一つひとつは正しく見える。しかし、全部を積み上げたときに何を得たのかがわからない。
そんな「部分最適の罠」は、企業でも国家でも注意しなければならないと思います。
【何のためにやっているのか】
商流とは、単に商品を右から左へ動かすことではありません。
異なる制度、文化、品質要求、コスト、そして異なる利害を持つ人たちの間に、継続して価値と利益を生み出せる仕組みをつくることです。
だからこそ、私自身が仕事をするときには、個々の工程が正しいかどうかだけではなく、「そもそも、何のためにこれをやっているのか」を考えるようにしています。
品質を守ることも、ルールを守ることも大切です。
しかし、それらが目的そのものになった瞬間、本来つくろうとしていた商流を失うことがあります。
部分最適をいくら積み上げても、それが全体最適になるとは限りません。
最後に問われるのは、ルールをどれだけ守ったかでも、工程をどれだけ増やしたかでもない。
その仕組みが、現実の中でどんな価値を生み、持続可能な商流をつくることができたのか。
中国と日本の間で長く仕事をしてきて、私はますますそう考えるようになりました。




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