top of page

酸っぱい経験を資源に変える ― レモネードの原則

更新日:9月4日



“When life gives you lemons, make lemonade.”


英語にこういう表現があります。直訳すると「人生があなたにレモンを与えたら、レモネードを作りなさい」という意味です。レモンは酸っぱく、そのままでは飲めません。けれども工夫すれば爽やかな飲み物に変えられる。つまり「逆境や嫌な出来事を資源に変えていこう」という比喩なのです。



疲弊型ビジネスの現実


しかし、現実のビジネスの場を見渡してみると、レモンを手にしたまま酸味に耐えている経営者が少なくないように思います。そこで私は、そうした在り方を「疲弊型ビジネス」と呼んでいます。


実際、経営の現場を観察すると、「我慢によって成り立つ経営」が少なくないことに気づきます。顧客要求に応じるだけで戦略を欠き、商品育成への投資を行わず、ひたすら現状維持に固執する姿勢は、中小企業に限らず大企業の一部でも見受けられます。こうした経営は短期的には存続可能であっても、長期的には組織や人材を疲弊させ、持続的成長を阻害するリスクを内包しています。


戦略を持たず、商品を育てる視点もない。だからこそ、ただリスクを避けることに追われ、その場はしのげても長い目で見れば何も積み上がらないのです。さらに関わる人々に対しても誠実さを欠く結果を招いてしまうでしょう。そう考えると、そうした経営者の姿はある意味では気の毒にも映ってしまいます。それはまるで酸っぱいレモンに浸かっているようなものだからです。



レモネードの原則


一方で、私は同じレモンを前にしても、別の態度を取りたいです。私は自分にあるものから作ることを始めます。またそれがなくなっても困らない範囲で、です。レモンも今あるものの一つです。それは他のものと違って味のアクセントになります。レモンがなければ、レモネードさえ作れないのです。ここで言う“レモネードに変える”とは、酸っぱさを我慢してそのまま飲み下すことではありません。我慢や忍耐の延長線ではなく、経験をどう資源に転換できるかという視点の問題です。つまり、出来事を別の意味へと捉え直すリフレーミングの発想です。

嫌な出来事や戦略性に欠けた経験であっても、次の選択基準に組み込むことができれば、それはレモネードへと変わります。つまり、レモネードとは甘く整えられた飲み物の比喩ではなく、酸っぱい経験を次の行動へと生かすための資源へと組み替えた状態なのです。


ただし、レモネードの原則は必ずしも困難を前提にしているわけではありません。本質は「想定外を資源に変える」ことにあり、そこにはポジティブな偶然も含まれます。思いがけない出会いや予期せぬ機会もまたレモンであり、それをどう活かすかによって次の展開が決まります。困難を糧にするのは一つの形に過ぎず、偶然の広がりそのものを資源化するのがレモネードなのです。


レモネードの原則は、想定外を資源に変える柔軟性を意味しています。言い換えれば、計画や戦略に固執しすぎて環境変化を取り込めない組織や個人は、その柔軟性を失ってしまうのです。これは、あらかじめゴールを設定し、そこから逆算して最適な手段を選び取る「コーゼーション(causation)」的な発想に偏りすぎた場合にも起こり得ます。


たとえば大企業であっても、戦略と組織の整合性が欠けていれば、どれほど資源を持っていてもオペレーションは失敗します。規模が大きいからこそ、戦略と現場の距離が広がり、捻じれや停滞が生じやすいのです。


一方、ソロプレナーである私は身軽でしがらみに縛られません。手にしたレモンをすぐにレモネードへ変えるように、戦略と行動が直結し、描いた方向性をそのまま実務に反映できます。小さな規模は弱点ではなく、むしろ強みとして働きます。クラウドを前提に、AIやDXを理解したうえで必要な部分を取り込み、あえてアナログを活かすことさえも戦略の一部にできるからです。



ソロプレナーの強みと基盤


私はまず一人でも勝てる戦略を取ります。私にとって価値があるのは、肩書きや立場に依存することではなく、自ら描いた戦略とそこから生まれる成果そのものです。ソロプレナーとして活動する私は、商品を育て、信頼を積み重ね、ネットワークを広げていきます。その積み重ねがステークホルダーへの誠実さとなり、やがて大きな差を生み出すでしょう。もっとも、それは孤立して戦うという意味ではありません。まずは自らの戦略と成果で存在を示し、そのうえで信頼できるネットワークと結びついてこそ、本当の価値が生まれるのです。


ただ、私は何もゼロから迷っているわけではありません。すでにプラットフォームは立ち上がり、Who I am に加えて、これまでの経験から培った What I know、そして現場で築いてきた Whom I know も見えつつあります。さらに生活コストなど損失の許容範囲も把握できています。つまり「何を持っているか(Bird in Hand)」や「どこまで失っても構わないか(Affordable Loss)」はすでに整理できているのです。これは私が越境ソロプレナーとして、日本と中国にマイクロ法人を設立し、水産物を中心に貿易やコンサルティングを進めるなかで得た基盤でもあります。


独立してから、疲弊型で再現性のない仕事にも取り組みました。それらは一旦手仕舞いし、今は気持ちも軽くなっています。しかし逆に言えば、レモンがなければレモネードは作れないのです。だからこそ、今手元にあるレモンをどうレモネードに仕立てるか──それが次の課題なのです。



グローバル化の行方とエフェクチュエーション


そして10年後を見据えると、グローバル企業のあり方はさらに大きく変わっていくでしょう。サプライチェーンの再構築が進み、標準化と現地適応を柔軟に融合させたメタナショナル型の体制が一般的になっていくはずです。とりわけ適応化の側面では、大企業がクラウド前提の小規模企業を登用し、地域に根ざした柔軟性を取り込む「グローカル化」が本流となるでしょう。


こうした変化の背景には、学者リンダ・グラットン氏の指摘する「大企業とソロプレナーの二極化」があります。かつてのように“ただ組織に属して安定を得る働き方”は通用しなくなり、個人が価値を発揮する立場を選ぶ時代が、本格的に訪れつつあるように感じます。

なお『ワーク・シフト』では、この二極化を含めて三つの未来シナリオが示されており、個人の協創を軸にする道、大企業と個の二極化が進む道、そして旧来型にとどまる停滞の道が描かれています。



それと並行して、オープンテクノロジーやエフェクチュエーションの考え方が普及し、大きな組織に属さなくても、個人や小さな単位で影響力を発揮できるようになる。私はその方向に進んでいきます。


エフェクチュエーションの五つの要素は、本来どれも同時進行しています。これまで扱ってきた「手中の鳥」や「天秤」、今回取り上げた「レモネード」もその一部にすぎません。偶発的な出会いをどう取り込むかを示す「クレイジーキルト」や、自分自身が操縦桿を握るという「パイロット」の姿勢とも重なり合いながら、全体として一つの思考法を形作っているのです。そして10年後を見据えたとき、その時には今よりも年齢を重ねています。だからこそ、限られた時間をどう活かすかを強く意識し、手元のレモンをレモネードへと変え続けていくことが、自分にとっての実践であり挑戦なのです。


ree

コメント


bottom of page