やれることから始めて──意味があとから立ち上がるということ
- 牧野 輝彰
- 8月17日
- 読了時間: 4分
更新日:8月19日
2025年8月8日で、創業から2周年を迎えました。
それに向けて、この数週間は、これまでの活動や仕組みの棚卸し、整理整頓を進めていました。
その過程で、ただ日々の業務を回すのではなく、「この先、どういう方向性で続けていくか」という問いと改めて向き合う時間が生まれました。
私は現在、神戸と大連の両方に法人を持っています。
しかし、その体制を前提に拡大志向で事業を進めるのではなく、あえてソロプレナーとして、クラウド環境を活かした小規模かつ柔軟な展開を選ぶという方向性に舵を切りました。
そこには、「できることから、無理なく続けていく」ことの持続性や、変化を受け入れながら動ける軽やかさを重視した判断があります。
意味は後からやってくる
このホームページも、当初は法人設立に伴う“看板”として、自身で最小限の構成で立ち上げたものでした。
技術的にはゼロからのスタートではなかったものの、デザインや更新性、運用設計といった点では課題が多く、正直「使いこなせている」とは言えない状態が続いていました。
けれども、ここ数週間の試行錯誤を通じて、操作スキルや構成設計の理解が飛躍的に伸び、「自分の考えや経験を、自分の手で表現する場」としての手応えが生まれてきました。
後から思えば、この一連の流れは、まさに「エフェクチュエーション(effectuation)」という考え方に通じるものだったと感じます。
計画から始めるのではなく、いまできることから動く
エフェクチュエーションとは、目的を明確に定めて計画的に進める「コーゼーション(causation)」的なアプローチとは対照的に、
「手持ちのリソースから始めて、行動の中で目的を形成していく」という起業家的思考法です。
私のこの2年間の歩みも、まさにそれに近いものでした。
何かを始めるとき、最初から明確な成果や収益を想定していたわけではありません。
むしろ、「いまの自分にとって意味がある」「やっていてメイクセンスする」ことを起点に動いてきた。
そして、そうした選択の連続が、少しずつ「地図」になり、「かたち」になり、ようやく「プラットフォーム」と呼べるような構造に育ってきたように思います。
相反するものを組み合わせるという発想
コーゼーションとエフェクチュエーションの関係性は、たとえばデジタルとアナログの使い分けにも似ています。
計画と即興、効率と余白、論理と感性――こうした一見相反するように見える要素は、どちらが正しいという話ではなく、それぞれの強みを活かしながら柔軟に使い分けることで、全体としての強度が増すと実感しています。
私自身、業務の一部はクラウドで自動化・省力化しつつも、発信のトーンや顧客とのやりとりにはアナログ的な対話や感覚も重視しています。
また、全体像は計画的に描きつつ、日々の選択は状況に応じて即興的に調整する。
「どちらか」ではなく、「両方を組み合わせる」姿勢が、今の小さな事業体には合っていると感じています。
プラットフォームは、自分の「地図」でもある
これまで点のように散らばっていた自分の経験や関心が、ようやくこのホームページを軸にしてつながりはじめた感覚があります。
それは、自分という個人が持つアイデンティティを、かたちとして表現するための場所=プラットフォームができたということでもあります。
このプラットフォームは完成形ではなく、これからも書き換えられ、更新されていくものです。
けれども、その中核に「これが自分らしい」という納得感=メイクセンスがある限り、どんな状況でも動き続けられると信じています。
終わりに
事業の方向性に迷ったとき、確かな答えが見えないとき、
「意味があるかどうか」ではなく、「自分にとってメイクセンスするかどうか」を問い直すことが、私にとって一つの羅針盤になっています。「やっていてメイクセンスする」という感覚は、そのまま“センスメイキング理論”として知られる思考のあり方とも重なります。
計画だけでもなく、行き当たりばったりでもなく、その中間でやれることを繋ぎながら、意味があとから立ち上がってくることを信じて――
そんな想いを込めて、この活動記録をここに残しておきたいと思います。





コメント